生まれてから38年間過ごした「足立区」について、当時を思い出しながらお話ししたいと思います。
足立区はかつて、東京市南足立郡と呼ばれていましたが、1932年(昭和7年)に市の地域拡大に伴い、(千住町、西新井町、江北村、舎人村、梅島町、綾瀬村) 他 10カ町村を1区として足立区が誕生しました。さらに調べてみると、私の育った「本木西町」は、それから29年後の1961年(昭和36年)に本木村から編成されたことがわかりました。
私の育った本木西町は昔ながらの下町で、車のすれ違いもできない程の細い道路で、路地にはたくさん家が並んでいました。そのため、交通の便は悪く、駅まではバスで30分もかかり、とても東京とは思えない小さな町でした。その分隣近所との付き合いは深く、それこそ、味噌や醤油を借りに行ける間柄で、私も幼少の頃には、ご近所の皆さんからお裾分けでお菓子や果物をたくさん頂いたり、可愛がってもらったこともあれば、悪いことをすれば叱られたりしながら育ちました。今、あの頃を思い出しても、幼少期を過ごすにはとても良い町だったように思います。
交通の便が悪く、「足立区には住みたくない」などといわれた時期もあったようですが、2005年(平成17年)にはつくばエクスプレス開通し、それから3年後の2008年(平成20年)には、財政面や近隣住民の反対で、工事が遅れ、2度も開通が延期されながら、計画が決まってから30年以上の時を経て、やっと舎人ライナーが開通したことで、都心へのアクセスが楽になったことにより、近年では、ベッドタウンとして足立区に移り住む人も増えてきているようです。
足立区出身の有名人について少し調べてみました。私が知っている足立区出身の有名人といえば、やはり、ビートたけしさんですが、他にも、女優の雛形あきこさん、現在放送中の月9ドラマ「ナイトドクター」に出演されている波留さん、イケメン俳優の原田龍二さん、前川泰之さん、歌手の木村カエラさん、芸人でANZEN漫才のみやぞんさん、あらぽんさんなど、多くの足立区出身の有名人が活躍されていることを知りとてもビックリしたのと同時に、これは足立区民として自慢できると思いました。
足立区の名所といえば、やはり西新井大師でしょう。西新井大師は總持寺(そうじじ)という真言宗豊山派のお寺で、川崎大師、佐野厄除け大師と共に、関東の厄除け三大師として広く知られています。特に、正月の三が日は普段は渋滞しない周辺道路も大渋滞する程、たくさんの初詣客で賑わいます。また、毎月21日には、弘法大師の縁日が開かれ、多くの出店が出るので、家族連れやお年寄りで賑わいます。私も縁日に出かけては、たこ焼きやラムネをほおばって、金魚すくいやヨーヨー釣りをするのがとても楽しみでした。また、西新井大師の山門前には、参道を挟んで向かい合う清水屋1689年(元禄2年)創業と中田屋1805年(文化2年)創業で売られている草団子は、たっぷりのつぶあんを絡めて食べるととてもおいしく、西新井大師の名物となっていて、お土産としても喜ばれています。
噂なので本当なのか、嘘なのかは分かりませんが、今や誰もが知る、東京のどこからでも見える東京の名所、東京スカイツリーの建設予定地として、足立区が候補に挙がっていたようです。ところが、1996年(平成8年)に新庁舎に建て替えた際に、莫大な費用をかけたことに腹を立てた一部の区民から「税金の無駄遣いだ!」と猛烈に反対されたこともあり、断念せざるをえなかったと噂されていました。確かに、あれだけの立派なタワーを建設するには、私には予想もつかない多額の費用がかかるのだろうから、区の負担もそれなりに大きいと思いますが、現在のスカイツリーの賑わいや街並みから、もし足立区にスカイツリーが建設されていたら、どのように町が街へと変わっていたのだろうかと想像すると、少し残念な気がします。また、区役所が千住から現在の庁舎に移転した当時は、足立区には似合わない程の立派な建物でしたが、33年経った今では、老朽化が進み、10年、総工費155億円をかけて全面改修することを決めたようです。敷地、建物が大きいだけに費用がかかるのもわかりますが、コロナ禍も重なって、また区民からの反対の声も聞こえてきそうです。
私は、生まれてから38年間足立区の実家で過ごしました。慣れ親しんだ実家も数年前に取り壊されて駐車場へと変わりました。私も足立区を離れて現在暮らしている千葉県に転居して、早いものでもう14年が経ちました。最近では、あまり地元に帰ることもなくなりましたが、当時、一緒に遊んだ仲間のことを思い出すと、何だかとても懐かしくなります。私も50歳を過ぎたので、仲間もそれなりに歳を重ねていると思いますが、いつか機会をみつけ、昔の思い出話しをしながら、一杯やりたいと思っています。