このストーリーは一本の電話から始まります。
時は2014年も暮れに押し迫った頃、プロ野球界では各チームとも契約更改が盛んに行われ、その年の貢献度や翌年への期待値が年俸として評価され、選手に提示されます。またこの時期は、先に行われたドラフト会議で交渉権を得た選手の入団発表やFA(フリーエージェント)の行使、またトレードによる選手の異動など、翌年に向けて戦力の補強が行われます。そんな中、当時広島東洋カープ(以下カープ)の球団本部長を務めていた鈴木清明氏の携帯電話に、一本の電話がかかってきました。その画面には、メジャーリーグの名門ヤンキースで活躍していた黒田の名前が表示されていました。
「もしもし、黒田です。。。帰ります。。。」と暗い声だったと鈴木氏は言います。
「帰るってどこへ? ドジャース?それともパドレス?」と鈴木氏が問うと、
「いえ、違います。カープです。」
「えっ!? カープ!」と鈴木氏は思わず叫び、とっさに誰もいないロッカールームに駆け込みました。そして、黒田の気持ちが変わらないうちにと、間髪を入れず所定の契約書をFAXで送付し、一時間後には黒田のサインが入った契約書が鈴木氏のもとへ返送されてきました。
このニュースは号外として報じられ、街頭インタビューでは「義理堅い人ですね」や「彼がカープに帰って来る日を心待ちにしておりました」といった黒田のカープ復帰を歓迎する声が数多く寄せられました。黒田はメジャーにおいても先発要員として期待されており、事実、ドジャースやパドレスからは約20億円もの金額が提示されていましたが、そのオファーを断り4億円+出来高払いという破格の安さを提示したカープと契約を結んだのです。
翌年1月に広島市内のホテルで入団会見が行われ、「なぜカープ復帰という道を選んだのか?」という記者からの質問に、黒田はこう答えました。
「2007年にFA権を取得しメジャーへの挑戦を熱望した際、カープファンの人たちが快く背中を押してくれたおかげで海を渡ることができました。ですので、今度は僕がカープファンの人たちのために喜ばせることができたらという思いがありました」さらに、「もう歳も歳なので、あと何年現役を続けることができるかわかりません。その中で最後はカープのユニフォームを着て野球人生を終えたいという気持ちが心のどこかにありました」と率直な思いをマイクに向けてくれました。
戦力補強と言えばもう一人、懐かしい力がカープに帰ってきました。新井貴浩です。新井は黒田と同時期の2007年に国内FA権を取得・行使し、阪神タイガースへ移籍しました。彼は実力通り主力として活躍しましたが、年数を重ねるにつれ出場機会も減り、2014年のシーズンオフには自主退団という形でタイガースから去りました。
そこへ声をかけたのがカープでした。「カープに帰ってもう一度やってみないか?」との誘いに、新井は相当悩みました。「7年前、カープファンの期待を裏切って移籍した僕を、受け入れてくれるのだろうか?」と。しかし、そんな不安は、シーズン開幕戦の第一打席で一気に吹き飛びました。その試合では、8回裏に代打として右のバッターボックスに立ちましたが、その瞬間、足が震えたと言います。球場全体には新井コールが響き渡り、昔懐かしの彼の応援歌が球場内にこだまします。結果はライトフライに終わりましたが、ベンチに戻る際には、割れんばかりの拍手で彼を迎え入れました。
2015年シーズンも始まり、戦前の予想ではマエケン(前田健太)や野村、黒田といった先発陣に加え、今村、一岡、中﨑のリリーフ陣と近年にはない充実した投手力に期待は高まりました。また、打撃陣においては菊池や丸などの若手の台頭、エルドレッドや松山といった中長距離砲の充実など、上位を狙える戦力は十分に整っていました。しかしながら最終戦となる143試合目、勝てばAクラス(3位以内)、負ければBクラス(4位以下)といった大事な試合において、シーズン途中に中継ぎへ配置転換された大瀬良が相手打線につかまり、あと一歩のところでクライマックスシリーズへの出場権を逃してしまいました。
そんな悔しさを胸に戦う2016年、エースのマエケンがポスティングによるメジャー挑戦でチームを離れ、戦力ダウンを余儀なくされました。しかし、この年は「逆転のカープ」「神ってる」といった表現に象徴されるように、この年の戦いぶりは神がかり的なものがありました。
そして、マジック1で迎えた9月10日の東京ドーム、先発投手はくしくも黒田です。黒田は6回3失点とまずまずのピッチング。7回からは勝利の方程式で9回裏も2アウト、そして最後の打者亀井をショートゴロに打ち取り、ボールが新井のファーストミットに収まった瞬間、25年ぶり7回目のリーグ優勝が決まりました。
選手や監督、コーチや裏方さんたちはそれぞれにマウンド付近で抱き合い、喜びを分かち合いました。その中で、黒田と新井の盟友二人が抱擁し涙するシーンは、カープファンのみならず、多くのプロ野球ファンたちへも感動を与えたことでしょう。彼らがカープから離れる以前のチーム状況は決して順風とはいえず、強くなるための戦略を二人で話し明かしたこともあるそうです。そんな低迷した苦しい時代を味わった二人だからこそ、喜びもひとしおだったのでしょう。
黒田はこの年のオフに現役を引退しましたが、チームはこの年から3年連続でリーグ制覇を果たし、強いカープが帰ってきました。その背景には、彼ら二人の野球に取り組む姿勢や教えが、後輩たちの心を奮い立たせたのでしょう。同じ年にカープを離れ、同じ年に帰ってきた偶然、メジャーからの多額オファーを断り帰ってきた男気、チームの精神的支柱となり3連覇へ導いた彼らの功績は、間違いなく感動物語としてカープ誌に刻まれることでしょう。